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文法とルールと習慣 [外国語習得支援]

それはホントに些細な違和感だった。たぶん、外国語習得法について書かれた書籍を読み漁っていなかったら私も気にしなかっただろう。
「文法はルールなのに何で言語学者ですら説明できないことが多いのだろう?」という問に関する答えを、我々は何となく感覚的に知っている。だから普段は疑問にすら思わない。でも、改めて考えてみると色んなことが見えてくる。

結論から言うと文法は厳密にはルールではない。自然言語の文法は習慣の積み重ねでできたもので、習慣や慣例はルールではないからだ。ルールとは、何らかの理由があって定められた“取決め”であって、必ず「原因と結果」等の因果関係を持つ。言換えると必ず「論理的」な説明がつく。文法には「法則性」や「原理」も含まれるがそれらは本能や習慣に端を発しており、そのため多くは論理では説明できない。

この混同に拍車をかけているのが習慣とルールの違いを、多くの人が理解していないことだ。これは教育にも現れる。例えば、学校では「法令(ルール)」は「習慣やシキタリ、慣例」の上位版のように教えている。確かに社会システムについては、これは間違いではないが、慣例と法令では、その成り立ちも仕組みも全く違うことを理解していないとトンデモナイ誤解を生み出すことになる。

話は語学の話から大きくそれるが、例えばこんなことがあった。....mixiの自転車系のコミュニティの1つで「自転車の法定速度」についての話題が持ち上がった時に、警察から直に聞いた「自転車には法定速度がない」という話を投稿した人がいた。もちろん自転車も車両だから自動車やバイクの法定速度を大きく上回るような無謀運転をしていれば捕まえて厳重注意をするらしい。私はこの話を読んで「なるほどな」と思っていたのだが、何と、この直後の同じ話題(スレッド)に「自転車は車両だから法定速度は自動車と同じ」と投稿した人がいたのだ。しかも「法律で決まっている」と主張しているのだから目も当てられない。確かに「自転車は車両」というのは法律に書かれているが、だからと言って「自転車の法定速度は自動車と同じ」という結論が導き出せるほど話は単純ではないのだ。

小難しい話になるが、一般に「法定速度」と呼ばれているのは道路交通法(道交法)で定められた規制速度のことをさす。道交法では道路の規制速度を決めるのは「その道路の管理者」と定めており、例えば国道なら国(国交省)が管理者である。管理者は規制速度を決めて、道路標識と道路標示でそれを交通者に示すことも定められている。

問題はここからだ。その「道路標識」と「道路標示」に関する条文には、但し書きとして「荷車や自転車を除く」旨が書かれている。つまり、自転車の規制速度を交通者に示す手段として「道路標識」と「道路標示」は使用できない。他に規制速度を交通者に示す方法がないから、実質的に自転車の規制速度は決めても無駄である。つまりルール上は「自転車の法定速度」を決めることが不可能なのだ。だからこそ警察も「自転車には法定速度がない」と認識した上で、実際には「自動車と同等に見なす」運用を行っている。そしてそれが慣例化しているおかげで誤解が誤解を生む事態になっている。

脱線ついでに今度はコンピュータ相手のプログラム言語について考えてみよう。プログラム言語では文法はルールである。論理的に説明がつく「完全な法則性」を持っているのはもちろん、各文法は必ず何らかの理由があって明示的に定められている。こうしたプログラミング言語の世界でも「デザインパターン」や「コーディング規約」など慣例や習慣は実はたくさん存在するが、文法とは明確に分かれている。それが自然言語との大きな違いだ。普段私はプログラミング言語を相手にしている性か、「文法はルール」と思っていたようだ。いや、元々理系人間で「世界は全て法則によって成り立っている」と考えていた人間だから、もっと根が深いか.....。

話を語学学習に戻そう。
我々が学校で英語を学んでいた1970年代〜1990年代は、外国語教育法研究の世界では「形式主義」の時代と呼ばれ、文法や語形等の「型」が重視された時代だった。その後の研究でこの方式には効果がないことが分かってきて、今はメッセージ(意味)の伝達に重点が置かれるようになっているらしい。それでも文法が意味の一部を担っている以上、文法学習が無くなることはない。

文法がルールならば論理的なつながりを学習することで憶えられるが、実際には習慣なのだからそうはいかない。法則性や相関関係を使った語呂合わせ的な学習は可能だが、それも付け焼き刃だ。習慣を習得する方法はただ一つ、習慣化することだけだ。「そんなの当り前だ」と怒られそうだが、私を含めた多くの外国語学習者が楽をしたくて、「習慣化」以外の画期的な学習メソッドの登場を待ち望んでいる。でも、「ルール」ですら、使いこなすには「習慣化」が有効だったりする。専門家も法令や自然法則、数学の定理等を一から組上げて思考したりはしないだろう。結局、「慣れ」に勝る「汎用的な効率化手段」は無いのだ。

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